龍・竜の図案(紀元前から伝わる瑞獣)
龍、鳳凰、麒麟など架空の生き物とされる「瑞獣(ずいじゅう)」は、吉兆や畏怖の念を抱かせることが多く、さまざまな造形・彩飾の中に取り入られている。赤穂ギャベでは、その文脈である赤穂緞通の図案から着想を得て椅子敷きとして制作することも多く、これまでも龍(竜)に由来を持つ図案をいくつか制作している。
京都の禅寺である天龍寺や南禅寺の寺紋として雨龍(あまりゅう)が用いられるなど日本でも古くから用いられる紋様。赤穂緞通でも比較的多く残っている「市松雲龍」から龍文(雨龍)より椅子敷きとしたもの。
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市松雲龍(赤穂緞通)
中国の明・清時代の建物(宮殿、寺院)の屋根には火災や天災などから守る意味合いで、数種類の瑞獣の形をした装飾が付けられていました。その装飾は脊獣(せきじゅう)・走獣(そうじゅう)などと呼ばれています。ちなみに赤穂ではそのシルエットから波文とも呼ばれ海の緞通と言われる由来になっています。
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御寮(赤穂緞通)
赤穂緞通の比較的古い時代には、龍が持つ畏怖の念の文脈からか結界の役割のように縁(額)に龍文を用いた図案が多く見られ、その龍文から二匹の龍を抜き出し椅子敷きとしたもの。
赤穂緞通の縁(額)に龍文があしらわれた事例
シルエットが簡素化(ディフォルメ)され、一見、雷文の分類されるようにも見えるが、さきほどの市松雲龍の「龍の頭」とも連想される意匠と見て取れる。
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五牡丹(赤穂緞通)
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花菱に縁龍文(赤穂緞通)
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十字唐草(赤穂緞通)
事例の一つとして、ひと目で龍とわかる図案を用いられた赤穂緞通もある。
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雲龍(赤穂緞通)
虺竜(きりゅう)とは
赤穂緞通に限らず、日本の伝統文様の多くは中国大陸の影響はとても大きく、さまざまな意匠に転用されている。その転用の繰り返しの先には当時の意味から外れてしまうものや、意匠としても発展だけでなく劣化していくこともみられる。赤穂ギャベの図案でも赤穂緞通だけでなく日本の伝統文様などからも着想を得て制作することが多く、できる限りその元になる意匠を汲み取った上で進めており、ネーミングを定める際には誤解のないように努めたいと考えているが、多少の色付も生じている。
虺竜(きりゅう)の「虺(き)」には、龍と成る前のトカゲやヘビの意味から小さいの龍を指すことや、「虺虺(きき)」という言葉に雷鳴の意味があったりすることを踏まえ、太古の時代に浪漫を寄せて、赤穂ギャベの図案名として採用した経緯がある。(…ちなみ、トカゲのモチーフが有名な「agnès b. アニエスベー」は龍には由来していないらしい)
紀元前17世紀(ざっと三千年前)、中国初期王朝の一つに「商」と呼ばれる時代があって、その商(殷とも呼ばれる)から春秋戦国時代(その後、始皇帝が統一)において、龍を象った文様の青銅器が多く残っているとされている。龍紋も青銅器の研究においては時代によってかいろいろ呼び名があって、夔竜文(きりゅうもん)、螭文(ちもん)、蟠螭文(ばんちもん)などの言葉が使われている。
泉屋博古館の青銅器研究者の方からお聞きした見解
・夔竜文(きりゅうもん)
横向きで大きく口を開け、その口の付け根あたりに眼と角が付き、細い胴体に一本足と尾を持つ龍で、商から西周時代にかけて流行した文様。
・螭文(ちもん)
足や角が欠けた小型で細長い龍で、春秋戦国時代に流行した文様。
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螭文:四螭文鏡 春秋戦国時代
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螭文:連狐縁三螭文鏡(部分)春秋戦国時代
・蟠螭文(ばんちもん)
複数の螭が複雑に絡み合ったもので、春秋戦国時代に発達した文様。
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蟠螭文:蟠螭文鏡(部分)秦時代
参考画像
・赤穂緞通工房ひぐらし
・泉屋博古館